Jan
17th
Sun
17th
誰しもはじめは、お手本に拠って習練を積むのですが、一個の創作家たるものが、いつまでもお手本の匂いから脱する事が出来ぬというのは、まことに腑甲斐(ふがい)ない話であります。はっきり言うと、君は未だに誰かの調子を真似しています。そこに目標を置いているようです。〈芸術的〉という、あやふやな装飾の観念を捨てたらよい。生きる事は、芸術でありません。自然も、芸術でありません。さらに極言すれば、小説も芸術でありません。小説を芸術として考えようとしたところに、小説の堕落が胚胎(はいたい)していたという説を耳にした事がありますが、自分もそれを支持して居ります。創作に於いて最も当然に努めなければならぬ事は、〈正確を期する事〉であります。その他には、何もありません。風車が悪魔に見えた時には、ためらわず悪魔の描写をなすべきであります。また風車が、やはり風車以外のものには見えなかった時は、そのまま風車の描写をするがよい。風車が、実は、風車そのものに見えているのだけれども、それを悪魔のように描写しなければ〈芸術的〉でないかと思って、さまざま見え透いた工夫をして、ロマンチックを気取っている馬鹿な作家もありますが、あんなのは、一生かかったって何一つ掴めない。小説に於いては、決して芸術的雰囲気をねらっては、いけません。あれは、お手本のあねさまの絵の上に、薄い紙を載せ、震えながら鉛筆で透き写しをしているような、全く滑稽(こっけい)な幼い遊戯であります。一つとして見るべきものがありません。雰囲気の醸成を企図する事は、やはり自涜(じとく)であります。〈チエホフ的に〉などと少しでも意識したならば、かならず無慙(むざん)に失敗します。無闇(むやみ)に字面(じづら)を飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする事は厳に慎しみ、ただ実直に、印象の正確を期する事一つに努力してみて下さい。君には未だ、君自身の印象というものが無いようにさえ見える。それでは、いつまで経っても何一つ正確に描写する事が出来ない筈です。主観的たれ! 強い一つの主観を持ってすすめ。単純な眼を持て。